連絡運輸営業規則

1988(昭63)年4月の見本帳の6ページに貼付されている見本券です。

231021-101.jpg

気にも留めずにスルーしたんですが、(ん?待てよ…)と気になって、戻ってもういっぺん凝視しました。

88年ってことは、まだJリーグが誕生(93年)する前で、JR鹿島線と鹿島臨海鉄道の接続駅は北鹿島(貨物駅)でした。

で、それはその通りなんですが、まつしまの視界に小さな棘みたいに刺さってチクチクしたのが着駅の表示です。鹿島神宮は北鹿島の隣、今の時刻表を繰ると、鹿島神宮~鹿島サッカースタジアム間は3.2km(換算3.3キロ)であることが判りますが、この3.2kmがどうしてそんなに引っ掛かるのかと申しますと…。

この見本券を遡ることおよそ二年半、船橋から総武線→武蔵野線→常磐線→鹿島臨海線→鹿島線→成田線→総武線をグルッと一周してこようと思い立ったまつしまは、船橋駅出札口へ出向いてその経路の乗車券発行を請求したんですが、そのときの顛末をご紹介した記事を2008年9月26日に投稿しました。

 ↓ これッス
https://w563p0j9cfbo.blog.fc2.com/blog-entry-318.html

で、そのときの出札掛が営業規則をひっくり返してあれこれ調べた挙句に席を立ち、ついたての後ろの助役となにやらボソボソ相談して戻ってきて、「お客さん、申し訳ないんですが…」と出札して寄越した切符がこれだったんですよ。

231021-102.jpg

切符の終着駅だけど降りられない、貨物駅で、ドアも開かなけりゃ、そもそもホームがない、どうしても降りるとゆーなら窓あけて道床のバラストに向かってジャンプするほかない。けど、実際にやったらまず十中八九怪我して、血だらけになって「痛ててて」なんてやってるところに警察がきて連れて行かれちゃいます。

どうしてこの切符の着駅が北鹿島なのかというと、船橋駅出札掛が云うには、連絡運輸で他社線を通過して再度国鉄線に戻ることが規則上許されていないから、だそうで、判ったような判らないような説明でしたが、後ろに並んだお客の手前、あんまりあれこれ尋ねて窓口を塞いじゃうわけにもいかなかったので、「判りました、それで結構です」と買ってきました。

ま、北鹿島から先の乗り越し分は車掌から買い足せば済むハナシですから、本音を白状すれば、(【北鹿島まで】なんて、こいつはおもしろい切符が買えたもんだ、融通の利かない規則さまさまだべさ♪)なんて喜んじゃったんですけどね(笑)。ホントは遠距離逓減制をフイにして損してるんですけど、着駅が貨物駅なんて妙な切符には滅多なことじゃお目にかかれませんから。

上の見本券当時(87(昭62)年7月)の線路図です。

231021-103.jpg

鹿島臨海鉄道線と鹿島線はちゃんと一本の線でつながっていますが、接続駅の位置には駅名がありません。旅客列車の時刻表に貨物駅を刷り込むわけにはいかない、ってことだったんでしょう。お読みになった方も多いと思いますが、宮脇俊三の【時刻表2万キロ】第一章・越美北線にも、南福井(貨物駅)について【憤懣やるかたなし!】といった口調で類似の実例が紹介されています。

で、ハナシの本筋に戻って、船橋からグルッと新松戸土浦を通り水戸から鹿島臨海線に乗り入れる切符は北鹿島までしか売れないのに、ひとつ手前の赤塚からだと水戸から北鹿島を通り越して次の鹿島神宮まで売れる切符があった。

って、普通に考えたらおかしいでしょ、これ??

刺さった棘みたいにチクチク感じるのも当然だと思われませんか?

昭和60年9月9日から昭和63年3月31日までの間に【連絡運輸営業規則に変更が生じた】というなら致し方ないですが、常識的に考えればとても現実的なハナシとは思われません。

確かに【通過連絡】という制度は適用範囲がかなり細かく規定されていたらしく、切符としてもよく見かけるのは小田急・東急・東武・などの社線を挟んだものくらいですので、ここに掲出した二つの事例だけで『船橋の出札掛の説明が間違っていた!』と断ずるわけにはいきませんが、片や北鹿島止まり、他方は鹿島神宮までOKというのは、どうにも釈然としません。

では、事実を確かめるにはどうすればよいのか。

この期間の連絡運輸営業規則を引っ張り出してきて照会するしかないんですが、そんなもの、いまさら捜すったって金と暇がかかって面倒なだけで、それが判ったからといってなにかいいことがあるのかと云えば、そんなもの、なんにもありません。モヤモヤしていたまつしまの胸の内がスッキリするくらいがせいぜいです。

その結果、仮に着駅(北鹿島と鹿島神宮)のどっちかが間違っていたとしても、ミス券が1枚見つかった、というただそれだけ、そんなのおもしろくもなんともありません。

昨今主流の費用対効果とかコスパといった考え方に全面的には賛同できかねますが、とはいうものの、本件の【調べもの】があまりにも実りのない不毛の調査たらざるを得ないことは、へそ曲がりのまつしまにもさすがに判ります。確かめて確かめられないことはないけど、そもそも【効果ゼロ】を確かめる必要なんてあるのかよ。

ないですもんね、そんな必要…。

ですんで本件は、こういうチグハグな実例を見つけましたぜ、と皆さんへご注進に及ぶところまででオシマイ、あとは本気で論文書こうとする研究者にでもお任せしようと思います、そんな変わった研究してる人がいるかどうか知りませんけど…(笑)。

ラストに、いまの鹿島線と鹿島臨海鉄道の接続駅が線路図でどんなふうに描かれているかをご紹介しましょう。

231021-104.jpg

鹿島サッカースタジアム駅、いまや立派なホームがしつらえられて、線路図にも堂々と描かれています。ホームのない北鹿島駅で、助役が跳躍するみたいに背伸びして運転士にタブレット渡していた光景なんて、もはや偲ぶよすがもありません。





関連記事

コメント

メロポン

いつも拝見しております。

どうやら船橋駅の対応は正解のようです。
1986年11月の「国鉄旅客連絡運輸区域」という表がネットに上がっています。
http://www.desktoptetsu.com/ryoki/renki1986kuiki.htm
これを見ると、鹿島臨海鉄道の通過連絡については、「国鉄線内原・高萩間、常陸青柳・常陸大子間、上菅谷・常陸太田間各駅~国鉄線成田・香取間、鹿島線各駅」で設定されていたようです。

でも確かに下車できない駅を着駅として発売するのも如何な物かと思いますが・・・。

Champcar97

貴重な切符ですね
まつしまさん、こんにちは。
着駅が北鹿島なんて、凄い貴重な切符ですよね。
まつしまさんがおっしゃる通り、
おもしろい切符が買えたもんだ、という感じですよね。
まあ、赤塚から鹿島神宮までの常備券があったのは、
鹿島臨海鉄道経由で鹿島神宮へ行く旅客が結構いて、連絡運輸営業規則から外れるけど、
それをいちいち鹿島神宮駅で乗り越し精算する手間よりはましだったからなのでしょうか。
水戸鉄道管理局 or 千葉鉄道管理局が目を瞑っていたということでしょうけど。
でも、逆ルート、鹿島神宮発で水戸以遠の常磐線の駅に行く切符は
存在したのでしょうか?
ちょっと気になります。

急行まつしま2号

Re: そういうことだったんですか
メロポンさん:初めまして、こんにちは。コメントありがとうございました。以後よろしくご交誼のほどお願い申し上げます。

なるほど、この規定に照らすと鹿島神宮着も北鹿島着もちゃんと既定のとおりに発行されてたことが判りました(鹿島神宮は見本券ですけど(笑))、改めてご教示ありがとうございます。ご紹介いただいたサイト、さっそく覗きに行ってきましたが、このほかにもいろいろなデーターがたくさん掲載されていますね。今後、こちらを参考にすれば、いままで首をひねっていたハナシもかなり解明できそうです。

とはいうものの、逆になぜそこまで【取り扱い可】の線区や区間を細かく規定したんでしょうね。鉄道省時代は連絡運輸といえば原則として当該社線全線全駅だった筈で、諸般の事情があることは想像がつきますが、あんまり細々と規定を改変すると事務が煩雑になって却って大変だったんじゃないかと思います。

着駅北鹿島、これが印発機券じゃなくて手書きの補充乗車券だったら文句なしにタカラモノなんですけどねぇ…(笑)。

急行まつしま2号

Re: 貴重な切符ですね
Champcar97さん:こんにちは、コメントありがとうございました。

メロポンさんとおっしゃる方から『両方正解、その訳は…』というご教示を賜り、そのついでにこれまで非常に分かりにくかった連絡乗車券が拠って立っていたところの規則類の参考書をご案内いただきました。これで、あれこれ推測しながら首をひねることが(これまでよりは)少なくなるだろうと思います。

さて、お尋ねの【逆ルート】なんですが、これまた頸椎捻挫を起こしそうな見本券に遭遇しました。連絡運輸うんぬん以前に『国鉄の営業規則って、いったいどうなってんの?』というシロモノで、先日の【小児は90円で相馬から東仙台まで乗せちゃう】大特価サービスのミス券と違って、間違ってんだか間違ってないんだかが判別できない厄介なシロモノです。近いうちに画像を記事に仕立ててご紹介しようと思いますので、しばしご猶予ください。

北鹿島までの切符、手にしたときは嬉しかったです♪ でも、メロポンさんへの応答にも書いたんですが、(これが手書きの補充券だったら最高なんだけどなぁ)という点が極めて残念でした。100点満点ってのはなかなか取れるもんじゃありませんよね(笑)。

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
非公開コメント

プロフィール

急行まつしま2号

2019/8/12 に Yahoo blog から移ってきました。2008/3/28 から活動しています。

残念写真はFH君(高校時代の同級生)の叔父さん(故人)が1960~62年にかけて撮影したもので、まつしま(以下、管理人という)は約40年前、高校卒業時にそのベタ焼きスクラップ帳をFH君から預かりました。

約半世紀が過ぎ、管理人にも終活準備の必要が迫ってきましたが、どの被写体もこのまま埋もれさるのはあまりにも惜しいと考えて公開を決意しました。

全ての記述と残念写真を除く全ての画像は、管理人によるものとお考え下さい。従って、残念写真に対する苦情・異議等は、いっさいお受け致しかねます。この点、あらかじめご了承頂くとともに、不同意の方の閲覧は(たとえ記事が全公開に設定されている場合であっても)お断り致します。

また、残念写真以外の全てについては、管理人の責任と権限で対応致しますが、管理人が【適切でない、相応しくない、好ましくない、不快である】等と判断した書き込みは、発見し次第、全て管理人の一存で警告なしに即刻削除します。この点も併せてご了解頂きます。

なお、上記の点は、全て【管理人の固い意思】であって【どなたからどのような種類の申し入れ等があっても応じない】こと、及び【どなたとの議論にも応じない】ことを、あらかじめ明記しておきます。

これらの方針に同意されない方の閲覧は当方から固くお断り致しますので、どうぞ速やかにご退出ください。

記事を閲覧される方は、(万が一紛議等が生じた場合も含めて)全てここに記述した方針に同意され応諾された方として対処致しますので、念のため此処に併せて明記しておきます。

原則的に【来る者は拒まず】が基本スタンスですが、ただし、管理者に対して過去に敵対的言辞等を執った事実のある者からの再接触等は、たといそれが当該敵対的行動の撤回及び謝罪並びに釈明等であっても、その全てを拒絶します。

もし釈明や和解の必要を感じたなら、その時点で直ちにそう処置した筈であり、またそう処置すべきでもありました。それをしないまま再接触を図るということは、

①なんらかの意図があって、非敵対的な態度を偽装もしくは隠蔽している

②記憶力に欠陥のある攻撃的性格

上記①または②のいずれかと考えざるを得ません。すなわち将来に於いて再び敵対的言辞を吐き散らし敵対的行動を執る危険性が極めて大きい者である可能性を窺わせる者である、と見做し得るわけで、そういう面倒くさいヤツと関わり合うのは金輪際願い下げ、二度と御免蒙ります。

そんなヤツに愛想笑いなどする気は全くありません。見つけたら直ちに叩き出して塩を撒くので、そのつもりで。

最新情報

月別アーカイブ