アウトッ!

切符に限らず、コレクションの世界には【エラー品】という流派(笑)があります。

書画骨董美術品工芸品は真作真筆がすべて、それ以外はたとい高名な作家による習作模写と云えども、無価値か否かはともかくとして要するに贋作です。しかし、紙幣・硬貨・郵便切手・書籍、それに切符もですが、厳密なる出荷検査や何重もの厳しい校閲を経る有価証券類などの(鍛造や刻印を含む)精密印刷物は工業製品であり、製作過程のミスが見逃されてそのまま世に出ることは(建前としては)あってはなりません。

つまり(仕掛かりもしくは未完成の状態を含めて)正規仕様を満たしていない不足、あるいは仕様と異なるなにがしかの欠陥・瑕疵等があるモノは最終検査までで撥ね出される筈で、最終製品に於ける正規仕様非充足品の含有率は限りなくゼロに近い、絶対数が少ない、従って(需要と供給の関係から)稀少性が高い、ということになるわけです。

特に紙幣・硬貨・郵便切手の類は、基本的にはそれぞれの政府が国家の威信をかけて管理監督する官業(いまの郵便事業は違いますけど)ですから、真贋を含めて誤謬は【絶対に許されない】レベルが常に維持されていなければなりませんでした。

それでもやっぱり出ちゃうのがミス。

ネットのオークションで、穴の位置がズレた50円玉や刷色がひとつ抜けた切手など、偽物より遥かに出来の悪い本物(笑)がとんでもない高値でやりとりされていることは多くの皆さんがご存知のとおりです。

国鉄も、かつては鉄道省という役所が営む官業でしたが、GHQの占領政策下で公社化され、さらにその38年後には民営化されて、中身はともかく見てくれだけは私鉄と同じ民間企業になりました。

けど、窓口で売る乗車券は官営だろうと民営だろうと有価証券(精密印刷物)であることに変わりありませんから、従ってその製造と検査の工程は厳重を極めていました。

とゆーか、なんの疑いもなく『厳重を極めている』と信じ込んでいました、ワタシら普通の市民は。

ところが、実際の中身に触れる機会が増えると、案外そうでなかったんでないの、なんて首をかしげる話がちょろちょろ見えてきちゃうんですよ、これが。

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これ、JR東日本が作った最後の硬券見本帳(1988(昭和63)年4月製作)のP33に貼付してあるサンプルです。

この切符のどこがどうおかしいのか、パッと見で即座にお判りになる方は相当なコレクターか、さもなくば鉄道と地理に詳しい人だと思います。

で、いきなり答えを書いちゃう前に、それを推理するための参考資料をいくつか並べてみましょう。

まず、相馬と東仙台とゆーのは、どのよーな位置関係にあるのか。時刻表87(昭62)年7月号から引用してきた鉄道路線図をご覧ください。(蛇足ですが、この時刻表は旧弘済会版です。87年当時、優等列車の【赤刷り】はまだ始まっていませんでした。)

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間に駅が10個以上挟まっています。東海道線、東北線、山陽線といった主要幹線区間は幕藩体制下の主要街道筋で、首都圏や京阪神地区など都市部の電車区間とはそもそもの成り立ちが違います。従って、上野発青森行といった長距離の汽車が走る路線の停車場(駅)も、基本的には自然と街道筋の宿場の位置を踏襲してゆくことになりました。つまり、江戸や大坂といった、明治以前に既に大都市の街並みが形成されていたエリアに敷かれた山手線や甲武鉄道(今の中央線)のように『隣の駅まで数百メートル』なんて間隔では設けられていません。鉄道が敷設され始めた頃、駅間距離(宿場Aから次の宿場Bまで)は短くても5キロとか6キロ(二里弱)、人口の少ないところや平坦なところでは10キロ以上(約三里)なんてのが当たり前でした。【東海道五十三次、中山道六十九次】などの言葉は距離と宿場の関係を自ずと示しています。

で、そう考えると10個先の駅まで汽車に乗るってことは、ザックリと50キロくらいの移動を意味するわけです。

って、まつしまはまことしやかに嘘ッパチを書いてないとも限りませんから、ホントかどうかちゃんと確かめとかないとアブナいです。そんじゃ、客観性を担保するために公式数字だらけの時刻表に登場してもらいましょう。

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今のいわき駅がまだ平駅だった時代ですねぇ。それはともかく、左端に東京起点からのキロ数がありますから、それで引き算してみてください。

相馬が312.8km、仙台は(常磐線廻りだと)366.5km、366.5 - 312.8 = 53.7 仙台までで約54キロ、ひとつ先の東仙台はさらに4.0km青森方向へ進みますので相馬からだと 57.7kmです。

大宮から東京まで京浜東北線に乗るとかなり時間がかかりますが、それでも30kmちょっとです。50km~60kmというと、湘南電車ならだいたい東京茅ヶ崎間くらい、上野からだと大宮のだいぶ先、東北線では栗橋か古河あたり、高崎線なら熊谷のちょっと手前、吹上・行田のあたりです。相当離れてるでしょ。

蛇足ですが、東北線(郡山福島経由)だと東京仙台間は 351.8kmです。仙台までの線路が15kmも長くなるのに、それでもなお日本鉄道(岩倉具視が設立した私鉄、高崎線・東北線・常磐線の前身)が常磐線の建設をかなり急いだ理由は、沿線の日立鉱山や常磐炭田ばかりでなく、平坦な地形に東北線を補完する輸送力を見出したからです。蒸気機関車がとにかく勾配を嫌ったことはよく知られていますが、もうひとつ、常磐線にはほとんどトンネルを掘らずに済むという大きなメリットもありました。

んで、話を元に戻して。

切符には小の影文字が刷り込まれてますので、オトナの半額の小児券であることが判ります。そんじゃ、民営化から一年後、東京から茅ケ崎まで大人は180円か190円(90円の倍)で電車に乗れたでしょうか?

んなバカな、いくらなんだってそんな筈ありませんわね…。

そうなんですよ、いくらコドモだからって相馬から仙台までたった90円ぽっちで汽車に乗せるワケがないんです。

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同じ時刻表の【営業案内】、運賃表です。右下に、まだ青函航路と宇高航路の運賃が載ってます。

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では、いよいよ答え合わせとまいりましょう。運賃表の該当欄を見てみると、

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51km~60km のところは900、すなわち大人運賃900円、小学校1年以上6年以下の小児が相馬駅から汽車で仙台まで行くには半額450円の切符を買わなきゃなりませんでした。従って額面の【90円】が間違いである、ということが判ります。

まぁ、切符に印刷ミスがあったとしたって、それを受け取った各駅は乗車券棚に装填する前に券面記載事項に齟齬がないかどうかを必ずチェックしますから、この場合なら訂正印(【相馬駅】のゴム印)を捺して金額を450円に修正した券を出札したでしょう。したがって、出札を担当する駅員にとっては訂正作業という本来なら不要な【余計な仕事】が生じますが、それを除けば実務上の実害は生じなかったであろうと思われます。

もっとも、訂正は単純動作を繰り返す辛い作業ですから、やらされる係員が『冗談じゃねえ、誰がやると思ってんだ!』なんて文句タラタラだったことは想像に難くないですけど…(笑)。

でも、これ。

見本券ですよ。

各駅が、必要な券の補充にあたって参照すべき【作成仕様のお手本】なんですよ!

それが間違ってたんじゃハナシにならないでしょう?

まつしまは切符を集め始めてかれこれ半世紀になりますから、その間にずいぶん色々なミス券にも出くわしましたし、その度にびっくりしたりニヤリとしたもんです。けど、それは全て実券で、こんなどデカいミスを堂々と印刷した見本券にはお目にかかったことがありません。

実券だからセーフ、という云い方が適切だとは思っていませんが、見本券でこれは完全に『アウトッ!!』の事例だと思います。普通の記事なら、ここで『東京乗車券管理センターの猛反を促したい』と記して本文の結びにするところですが、如何せん、JR東の全駅から硬券が姿を消して既に30年が過ぎ去ってしまいました。

促そうにも、『仰せのとおりです、ご指摘ありがとうございました、再発防止に全力を傾注します、申し訳ありませんでしたっ!』と猛反する当事者が一人もいなくなっちゃってんじゃ、どうにもこうにもハナシになりません。

けっこう大スクープだと思うんですが、それにしちゃ不発弾とゆーのか、なんかつまんねえなぁ、ってカンジです。


※文中なかほどの大坂は、明治期以前の地名として記述しましたので、敢えて大の表記を避けました。

追記

ちょっと興味を覚えたので、87(昭62)年と23(令5)年の線路図を並べた画像をついでに掲出しておきます。

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仙台市内駅の範囲とか、新設駅とか、線路では東北仙石ライン(仙石線と東北線の連絡線)に仙台空港鉄道、30年も経つとずいぶん様変わりするもんですね。

追記、終わり。




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コメント

Champcar97

阿武隈急行
まつしまさん、こんにちは。
運賃表示のミスより、阿武隈急行の違いに目が行ってしまいました。(すいません)
1987年は、まだ全線開業してなかったんですね。
でも、丸森線時に比べて駅は増えてる。。。。
また、JRバスも走っていましたね。

急行まつしま2号

Re: 阿武隈急行
Champcar97さん:こちらへもコメントをありがとうございます。

(そう云や阿武隈急行ってたしか全線開業したのは昭63(1988)年じゃなかったっけ?あれ?だとすると丸森線との関係ってどうだったんだっけ??)このあたり、うろ覚えで記憶が甚だ曖昧でした。うっかり変なこと書いちゃうかもしれないので検索かけてカンニングしたら、廃止転換が昭61年7月(記憶合ってた!)で、以後昭63年7月の全線交流電化開業まで国鉄から気動車借り入れて槻木丸森間を営業、と書いてありました。

記事に添えた線路図の時刻表を引いたら、P464に【阿武隈急行線】が載っていて、なんと14往復(うち2往復は仙台発着)、下りの最終は槻木22:04発で、これだと仙台21:27発(槻木21:56着)から乗り継げました。

そういえばずいぶん前でしたが、丸森線とその近辺の国鉄バス路線に×印つけたり線を抹消したヘンテコな仙台松島ミニ周遊券を記事にしたことがありましたが、あれは両方とも昭61年に使った券でした。

↓ これッス…。

https://w563p0j9cfbo.blog.fc2.com/blog-entry-410.html
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プロフィール

急行まつしま2号

2019/8/12 に Yahoo blog から移ってきました。2008/3/28 から活動しています。

残念写真はFH君(高校時代の同級生)の叔父さん(故人)が1960~62年にかけて撮影したもので、まつしま(以下、管理人という)は約40年前、高校卒業時にそのベタ焼きスクラップ帳をFH君から預かりました。

約半世紀が過ぎ、管理人にも終活準備の必要が迫ってきましたが、どの被写体もこのまま埋もれさるのはあまりにも惜しいと考えて公開を決意しました。

全ての記述と残念写真を除く全ての画像は、管理人によるものとお考え下さい。従って、残念写真に対する苦情・異議等は、いっさいお受け致しかねます。この点、あらかじめご了承頂くとともに、不同意の方の閲覧は(たとえ記事が全公開に設定されている場合であっても)お断り致します。

また、残念写真以外の全てについては、管理人の責任と権限で対応致しますが、管理人が【適切でない、相応しくない、好ましくない、不快である】等と判断した書き込みは、発見し次第、全て管理人の一存で警告なしに即刻削除します。この点も併せてご了解頂きます。

なお、上記の点は、全て【管理人の固い意思】であって【どなたからどのような種類の申し入れ等があっても応じない】こと、及び【どなたとの議論にも応じない】ことを、あらかじめ明記しておきます。

これらの方針に同意されない方の閲覧は当方から固くお断り致しますので、どうぞ速やかにご退出ください。

記事を閲覧される方は、(万が一紛議等が生じた場合も含めて)全てここに記述した方針に同意され応諾された方として対処致しますので、念のため此処に併せて明記しておきます。

原則的に【来る者は拒まず】が基本スタンスですが、ただし、管理者に対して過去に敵対的言辞等を執った事実のある者からの再接触等は、たといそれが当該敵対的行動の撤回及び謝罪並びに釈明等であっても、その全てを拒絶します。

もし釈明や和解の必要を感じたなら、その時点で直ちにそう処置した筈であり、またそう処置すべきでもありました。それをしないまま再接触を図るということは、

①なんらかの意図があって、非敵対的な態度を偽装もしくは隠蔽している

②記憶力に欠陥のある攻撃的性格

上記①または②のいずれかと考えざるを得ません。すなわち将来に於いて再び敵対的言辞を吐き散らし敵対的行動を執る危険性が極めて大きい者である可能性を窺わせる者である、と見做し得るわけで、そういう面倒くさいヤツと関わり合うのは金輪際願い下げ、二度と御免蒙ります。

そんなヤツに愛想笑いなどする気は全くありません。見つけたら直ちに叩き出して塩を撒くので、そのつもりで。

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