補充券で発行された連絡乗車券

昨日の記事で国鉄の連続乗車券を21枚ひとまとめにしてご紹介しましたが、その券を探してあちこち覗いている間に私鉄が発行した他社線への連絡乗車券をいくつか見つけました。

硬券や券売機の券だとわりに頻繁に目にしますが、補充券のものはあまり見かけた記憶がありません。なぜかと考えてみるに、そもそも私鉄から国鉄(JR)線への直通切符(その逆も)というのは出札口の上に【〇〇駅乗り換え国鉄線連絡きっぷ】みたいな案内のある区間・範囲しか売っていない、と旅客が思い込んでいたからではなかろうか、という気がします。

それも、小田急とか東急とか西武といった大手私鉄線で都会のターミナル駅で乗り換えといったケースならなんの疑いもなく普通乗車券でも定期券でも出札を請求したでしょうけど、例えば、地方の中小バス会社の営業所の窓口で、そもそも「石越乗り換えで横浜まで」なんて切符が買えるなんて誰も思わなかったんじゃないでしょうか。だいたい、そんな案内表示や運賃表なんて掲示してなかったでしょうし。

けど、半世紀ほど時間を遡れば、全国の中小私鉄・バスや離島航路と国鉄線が相互に直通する乗車券を発売するのはごく当然のサービスでした。ですんで、民営化後しばらくして連絡運輸制度そのものがほぼ全廃されるまでは、たとえば新京成線椚山駅の出札口で熊本までだろうと札幌までだろうと、請求すれば【椚山から熊本ゆき/札幌市内ゆき】の普通乗車券を当たり前に発行していました。

しかし補充券を使う乗車券は、レディーメードの切符を置いていない区間の切符を手作業で作らなければなりませんから、私鉄の出札掛にしてみれば、扱う頻度が低く、したがって不慣れで発行(対旅客の事務処理)と精算(鉄道事業者間の事務処理)の両方でミスを犯す危険性も高いワケで、できれば扱いたくない種類の厄介な業務であったことは想像に難くありません。

実際、東武野田線新船橋駅の出札口で『柏乗り換えで常磐線土浦まで』と申し出たら、『ここでは売れないから、柏で別に買い直せ』と云われたことがありました。もちろんそんなの嘘ッパチで、要するに面倒だから作りたくないってだけです。

んで、『へえ、そうなの、売れないの、それ、間違いないね?』と念を押して、あとで本社旅客営業部から嘘つき駅員にギッチリお灸据えさせるつもりで日にちと時間を確認してから係員の名札みて「あんた、〇〇さんっていうのね」と名前を手帳に控えようとしたら、助役がスッ飛んできましたけどね(笑)。

けど、いまやそれも完全なる昔語りになり果ててしまいました。

その昔語りを何枚か見つくろってピックアップしましたので、昨日の連続乗車券と同じく、発行順に画像をならべてご覧にいれることにします。様式はほとんど変わりませんが、それでも会社によってずいぶん個性的な券面に仕上がっていますので、なかなか興味深いですよ♪

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券ばかりか会社そのものがなくなっちゃったところがかなりあります。つくづく時の流れの無常を感じるといいますか、なんとも寂しいものですね…。




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コメント

Champcar97

米谷駅
まつしまさん、こんばんは。
昭和50年でも、米谷駅だったのですね。
仙北鉄道が廃止されてバスになっても、そのままだったんですね。
ただ、暫くバス専用道路があったから駅というのも、納得ですが。

急行まつしま2号

Re: 米谷駅
Champcar97さん:こんにちは。コメントありがとうございました。

米谷駅、線路がなくてもやっぱり駅だったんですね。でもこれ、宮城バスと仙南交通と宮城中央交通が三社合併した後の様式ですから、線路がなくなってからだいぶ経ってますよね。ほかに呼びようがなかったんでしょうか、たとえば【営業所】とか…(笑)。面倒だからそのまんま放っぽらかしてた、ってなあたりが真相なんじゃないでしょか?

いまはネットで検索すればたちどころに判りますが、当時この読みがマイヤとは知りませんでした。これ、鹿島台を訪ねたときに駅員が「こんな切符もあるんだよ」と奥から持ってきてくれた券で、ありがたく頂戴してきました。米谷まで行って長町まで買ってみればよかったんですが、当時(今も)格段にバカでしたので、そこまで知恵が回りませんでした…(泣)。
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プロフィール

急行まつしま2号

2019/8/12 に Yahoo blog から移ってきました。2008/3/28 から活動しています。

残念写真はFH君(高校時代の同級生)の叔父さん(故人)が1960~62年にかけて撮影したもので、まつしま(以下、管理人という)は約40年前、高校卒業時にそのベタ焼きスクラップ帳をFH君から預かりました。

約半世紀が過ぎ、管理人にも終活準備の必要が迫ってきましたが、どの被写体もこのまま埋もれさるのはあまりにも惜しいと考えて公開を決意しました。

全ての記述と残念写真を除く全ての画像は、管理人によるものとお考え下さい。従って、残念写真に対する苦情・異議等は、いっさいお受け致しかねます。この点、あらかじめご了承頂くとともに、不同意の方の閲覧は(たとえ記事が全公開に設定されている場合であっても)お断り致します。

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原則的に【来る者は拒まず】が基本スタンスですが、ただし、管理者に対して過去に敵対的言辞等を執った事実のある者からの再接触等は、たといそれが当該敵対的行動の撤回及び謝罪並びに釈明等であっても、その全てを拒絶します。

もし釈明や和解の必要を感じたなら、その時点で直ちにそう処置した筈であり、またそう処置すべきでもありました。それをしないまま再接触を図るということは、

①なんらかの意図があって、非敵対的な態度を偽装もしくは隠蔽している

②記憶力に欠陥のある攻撃的性格

上記①または②のいずれかと考えざるを得ません。すなわち将来に於いて再び敵対的言辞を吐き散らし敵対的行動を執る危険性が極めて大きい者である可能性を窺わせる者である、と見做し得るわけで、そういう面倒くさいヤツと関わり合うのは金輪際願い下げ、二度と御免蒙ります。

そんなヤツに愛想笑いなどする気は全くありません。見つけたら直ちに叩き出して塩を撒くので、そのつもりで。

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