【書き直し】旧東武デハ7ではありませんでした

お馴染みさんからのお預かり写真、新潟交通のカットについて、8月11日に『旧東武デハ7かデハ9だと思う』という趣旨の記事を書いたんですが、それがとんだ間違いだったことが別のお馴染みさんからご教示いただいたデーターで判明しました。

そうと判ったからには、推測に更に推測を重ねたみっともない間違いをさらしておくワケにはいきませんので、いったんは記事の削除を考えましたが、けどお預かりした新潟交通の写真をそのまま葬ってしまうのは申し訳ないし、なにより惜しいことです。

そこで誤っている箇所、推測している箇所は、一部を経過を示すために残すほかは抹消したうえで書き直すことにしました。

甚だ見苦しい振る舞い、閲覧者の皆さんに心からお詫びします、ごめんなさい。

また、事実をご教示下さった YASUZIRO さんには、厚くお礼を申し上げます。間違いを見つけちゃったとき、相手にそれをどう伝えるかはけっこう神経が疲れるコミュニケーションだと思いますが、それを厭わずご教示いただけたのは、ひとえにこれまで賜ってきたご交誼の賜物と心得ております。どうもありがとうございました。決して皮肉や嫌味などでなく、率直に感謝しております。向後も何卒よろしくご教示いただきますようお願い致します。

さて、本文。(以下、青い文字の部分は書き直す前の記述です。)

どこの駅なのか。分岐器や複数の線路が写っていますので、行き違いができるそれなりの規模の駅である、というところまでは誰にでも判りますが、具体的な駅名となると、ネットの画像であれこれ捜してもなかなか『これだっ!』という確証が得られるデーターに行き当たりません。75(昭和50)年9月撮影とのことなので、(貨車は写り込んでいませんが)まだ貨物を営業していた時代の姿です。



判らないのは駅名ばかりではありません。そもそもこの車体、氏素性がはっきりしないんですよ。

末期の新潟交通車輛には正面に社章と車体番号がペイントしてありましたが、このカットはそれを約四半世紀ほど遡ります。色調も塗分けも、ネットにアップされている写真とはだいぶ異なります。

んで、まつしまも乏しい知識と記憶の中から一所懸命に関連しそうな姿を手繰り寄せてみたんですが、ふと思い当たったのが東武野田線。小学生のころ、夏休みに鎌ヶ谷のいとこの家に遊びに行ったときに乗った大宮行の半流線形車輛の面差しによく似ている印象を受けました。
←この先入観がそもそも間違いの素でした…。

なるほど、Wikiで新潟交通電車線を検索すると、東武からデハ6、7、9の3両が新潟に移籍して、それぞれモハ19、モハ17、モハ18として就役した、とたしかに書かれています。

そこで東武デハ6を当たってみると、これが大正年間に登場した東武初の電車、大正13年系のデハ1形。改めて画像の検索をかけ直すと、68(昭43)年に東関屋で撮影されたモハ19のきれいな写真があって、張り上げ屋根と剣道場の武者窓みたいな正面5枚窓の原形を留めている姿が拝めました。

けどお馴染みさんのカットには旅客の乗降扉と高さが異なる乗務員扉が写っています。

となると、これはその次の形式、すなわち大正14年系のデハ7か、さもなくばデハ9のいずれかではなかんべぇか?
←このよーに、想像はどんどん一人歩きし始めました。

Wikiの画像は乗降扉と乗務員扉が同じ高さですが、これは嵩上げされた電車ホームの高さに合わせてモニ1471の開口部のステップを埋めてドアサイズを変えたからではないか、と推測されます。

てな具合にどんどん間違いに間違いが重なって行って、もはや東武デハ7という前提であれこれ書き進めちゃったんですが、豈図らんや、正解は旧西武(武蔵野鉄道)のサハ2322、新潟交通ではクハ39、新潟移籍は東武デハ7より10年以上あと、車体はほとんど改装されずに85(昭60)年廃車になった、ということを知りました。

なるほど、注意してよくよく写真を眺めると単行運転ではなく奥にもう一両つながっていますし、さらに凝視すれば新潟交通モハ10形の特色(バス窓と片面2扉)が辛うじて判別できるレベルで写っています。つまり、これ見て(単行=電動車だ!)と思い込んだ最初の段階で既に間違っていたんですね。

従って、Wikiに書いてある新潟交通モハ10形電車の記事も全て事実、東武の5枚窓デハは全て69(昭44)年までに車体を日車製に載せ替えられて、かつてあちこちの地方私鉄で目にした大きな二枚窓に生まれ変わっていたんでした。

ちなみにモハ10は全て片側2ドアでしたが、クハ39は最後まで3ドアで、乗降時間の短縮を図るために、通勤通学時間帯に増結されたんだそうです。ということは、お馴染みさんが撮影したのは早朝か夕方だった、ということが改めて判りました。

どうやったらWikiの記述が修正できるか、なんて、要らぬシンパイどころか無知の空騒ぎにすぎなかったワケで、記述を抹消した今でも顔から火が出そうです、面目次第もございません m(__)m





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コメント

YASUZIRO

毎日暑い日が続きますが、お身体は大丈夫ですか?
こちらもなんとか猛暑をなんとか乗り切ろうと、あまり無理をしない生活を心がけています。

さて、写真の車両ですが、私は新潟交通には末期に数回訪れただけのため、よくわからず。
第一感として、蒲原にこれに似たのがいたなと。
でも、微妙に違うようですね。

検索してみるとこれ、クハ39?
http://group4rally.car.coocan.jp/page267.html
解説によると以下の経歴のようです。
武蔵野鉄道(現西武鉄道池袋線)のサハ2322
1929年(昭和4年)3月には電装されてデハ2322
1948年(昭和23年)6月モハ224に改番
1954年(昭和29年)8月モハ218への改番
1958年(昭和33年)7月Tc化によりクハ1214
1962年(昭和37年)10月に入籍
1985年(昭和60年)9月廃車

急行まつしま2号

クハ39!!
YASUZIROさん:こんにちは、コメント&ご教示、まことにありがとうございました。

撮影された時期と考え合わせたら、どこからどう考えたってクハ39ですね、これ。こんな恥ずかしい記事を書いてしまって、穴があったら入りたいです。

タイミングを見計らって、この記事は削除しようと思います…(恥)

急行まつしま2号

書き直しました
YASUZIROさん:ご教示に重ねてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

お馴染みさんからのお預かり写真を抹消してしまうのはやはり惜しいと考えましたので、恥を忍んで書き直しました。なにとぞご寛恕賜り度 m(__)m

YASUZIRO

こんにちは。
誰でも勘違いや間違いはありますので、恥じる必要は全くないと思います。
重要なのは、その処置の方法ですね。
今回は最も適切な方法かと思います。

急行まつしま2号

Re: ご配慮、痛み入ります。
YASUZIROさん:こんにちは。丁寧なコメント、かたじけなく存じます。ご教示に重ねて御礼申し上げます。恥ずかしいから削除する、というのは最も容易な対応ですが、写真を預けてくださったお馴染みさんのご厚意をなかったことにしてしまう訳にはいきませんので、やはりここは間違いをただし、以て軽率な思い込みを反省すべきだと考えました。また、そのように冷静に再考できたのは、YASUZIROさんが正しい情報を静かにご教示くださったおかげでもあります。ネットでは、ちょっとした間違いでも往々にして揚げ足を取られてボコボコにされてしまいます。もし錯誤と誤謬の指摘が攻撃的な文言に満ちていたら、自分の非を棚に上げて罵り合いの泥仕合と化して更なる醜態をさらしていたかもしれません。改めて YASUZIROさんという紳士との知遇を得られた幸運に感謝しております。ありがとうございました。

キンゴロー

ご無沙汰をしております。
当方が新潟交通を訪れた時は、東関屋-月潟に短縮後なので1993年以降なので設備とかかなり縮小された後かもsれませんが、複数の側線があるのは東関屋駅だけと記憶しています。また、手元に小学館の「JR・私鉄全線各駅停車6 中央・上信越590駅」1993年2月発行の書籍に新潟交通の配線図が掲載されていて、可能性がありそうなのは東関屋駅と燕駅だけでした。
非常に味わい深い新潟交通と思ったものの、1回再訪したのみとなってしまいました。

急行まつしま2号

Re: 貨物営業廃止前なので
キンゴローさん:こんにちは、コメントありがとうございました。

お馴染みさんが撮影されたのは75年、貨物営業廃止前でしたので、各出版社が(鉄道は商売になる)と様々な商業出版物を世に送り出すよりもだいぶ前でした。

東関屋でも燕でも、どちらの駅のカットであろうと、真っ先に廃車になったクハ39が写っているということがお馴染みさんから受け取った史料としての価値ではないかと思っておりますので、はっきりと同定されればそれに優るヨロコビはありませんが、判んなきゃ判んないで、それでも構わないと思っているんです、実は。

むしろ、こういう素材を俎板にのせて、閲覧者の皆さんと「これかな?」「いや、こうかも…」なんてお話ができるということが、老いた鉄道愛好者にとってなにより嬉しいことだと思っております。写真を預けてくださったお馴染みさんも年齢はまつしまとほぼ同じでして、ご自身のライブラリーが皆さんとのコミュニケーションのトリガーになることを愉しんで下さっていると思います♪
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プロフィール

急行まつしま2号

2019/8/12 に Yahoo blog から移ってきました。2008/3/28 から活動しています。

残念写真はFH君(高校時代の同級生)の叔父さん(故人)が1960~62年にかけて撮影したもので、まつしま(以下、管理人という)は約40年前、高校卒業時にそのベタ焼きスクラップ帳をFH君から預かりました。

約半世紀が過ぎ、管理人にも終活準備の必要が迫ってきましたが、どの被写体もこのまま埋もれさるのはあまりにも惜しいと考えて公開を決意しました。

全ての記述と残念写真を除く全ての画像は、管理人によるものとお考え下さい。従って、残念写真に対する苦情・異議等は、いっさいお受け致しかねます。この点、あらかじめご了承頂くとともに、不同意の方の閲覧は(たとえ記事が全公開に設定されている場合であっても)お断り致します。

また、残念写真以外の全てについては、管理人の責任と権限で対応致しますが、管理人が【適切でない、相応しくない、好ましくない、不快である】等と判断した書き込みは、発見し次第、全て管理人の一存で警告なしに即刻削除します。この点も併せてご了解頂きます。

なお、上記の点は、全て【管理人の固い意思】であって【どなたからどのような種類の申し入れ等があっても応じない】こと、及び【どなたとの議論にも応じない】ことを、あらかじめ明記しておきます。

これらの方針に同意されない方の閲覧は当方から固くお断り致しますので、どうぞ速やかにご退出ください。

記事を閲覧される方は、(万が一紛議等が生じた場合も含めて)全てここに記述した方針に同意され応諾された方として対処致しますので、念のため此処に併せて明記しておきます。

原則的に【来る者は拒まず】が基本スタンスですが、ただし、管理者に対して過去に敵対的言辞等を執った事実のある者からの再接触等は、たといそれが当該敵対的行動の撤回及び謝罪並びに釈明等であっても、その全てを拒絶します。

もし釈明や和解の必要を感じたなら、その時点で直ちにそう処置した筈であり、またそう処置すべきでもありました。それをしないまま再接触を図るということは、

①なんらかの意図があって、非敵対的な態度を偽装もしくは隠蔽している

②記憶力に欠陥のある攻撃的性格

上記①または②のいずれかと考えざるを得ません。すなわち将来に於いて再び敵対的言辞を吐き散らし敵対的行動を執る危険性が極めて大きい者である可能性を窺わせる者である、と見做し得るわけで、そういう面倒くさいヤツと関わり合うのは金輪際願い下げ、二度と御免蒙ります。

そんなヤツに愛想笑いなどする気は全くありません。見つけたら直ちに叩き出して塩を撒くので、そのつもりで。

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